2022.6.8
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
いよいよ東京でも「都民割」のスタートが決まり、旅行に行きやすい環境が揃って来ました!!
前回、前々回に続きまして、年明けから盛り上がっている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地の神奈川編第三弾となります。
第一弾、第二弾はこちら
第八回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編①】
第九回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編②】
【常楽寺(じょうらくじ)】
1237年(嘉禎3)三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまり。常楽寺の寺名は、泰時没後、その法名をとってつけられた。建長寺開山蘭渓道隆が、建長寺が建立された1253年(建長5)まで、ここに住んでいたことでも知られ、仏殿には、本尊の阿弥陀如来像とともに蘭渓道隆像が安置されている。北条義時の息子・泰時が妻の母の供養のために建立した寺院で、泰時の年忌供養も行われています。また「粟船山(あわふねさん)常楽寺略記」は北条政子が娘大姫と許嫁の源(木曽)義高の菩提を弔うため当寺を創建したとし、裏山には義高の首塚といわれる塚があります。
ゆかりの人物は、北条 泰時・源 義高・大姫 となります。

【来迎寺(らいこうじ)】
来迎寺は1293年(正応6年)に建立された時宗のお寺です。
阿弥陀如来様をご本尊とし、鎌倉三十三観音霊場巡りの五番札所として、今も多くの巡礼者・参拝者が訪れます。
江戸時代、源頼朝の法華堂に安置されていた地蔵菩薩・如意輪観音(にょいりんかんのん)・跋陀婆羅尊者(ばっだばらそんじゃ)の三躯等を祀ります。地蔵菩薩像はもと報恩寺の本尊で、後に太平寺・法華堂へと移されました。来迎寺の近隣にあった太平寺は、頼朝が自らを助けた池禅尼(いけのぜんに)の姪を開山として建立したと伝わり、その客殿(仏殿とも)は円覚寺に移され、舎利殿として現存します。

【法華堂(ほっけどう)源頼朝墓・北条義時墓】
源頼朝の墳墓堂(法華堂)跡です。頼朝の生前に持仏堂として建てられ、没後に法華堂と呼ばれるようになりました。現在頼朝墓のある平場がその跡地であると考えられています。武家の精神的な拠り所として鎌倉幕府滅亡後も維持されました。

【法華堂 源頼朝墓】
北条義時の没後、供養のために建てられた墳墓堂(法華堂)の推定地です。平成17年(2005年)の発掘調査で堂跡の遺構が発見されました。堂は鎌倉時代後期には廃絶したとみられています。背後には、宝治合戦で敗れた三浦氏一族にゆかりがあると伝わり今も供養されている「やぐら」や、江戸時代以降に整備された大江広元等の墓所があります。

【大倉幕府跡(おおくらばくふあと)】
頼朝が建てた鎌倉政務の中心地です。鎌倉入りした源頼朝は大倉郷に御所を新造し、公文所、問注所も設置しここに幕府政務機能を集中させます。以後頼家、実朝と源氏3代の将軍のこの場所において政務を行いました。
頼朝の御所の周囲には、有力御家人の宿所や幕府の役所が置かれていました。江戸時代の地誌から推定して、現在の清泉小学校の敷地を中心とする地域にあったと考えられています。

以上、今回も引き続き、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地のスポットの内神奈川県のスポットを神奈川編③としてご紹介しました。
さらに次回以降には、静岡編などもご紹介していきたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございました。
2022.4.28
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
前回、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地の神奈川編①をご紹介しまして、大反響(?)をいただきましたので、今回は第2弾の神奈川編②としてご紹介したいと思います。
【覚園寺(かくおんじ)】
鎌倉にある覚園寺の前身は、義時が建立した大倉薬師堂といいます。
義時は薬師如来への信仰が強く、この薬師堂を創建しました。しかし大蔵薬師堂は火災で消失してしまい、1296年に北条貞時が覚園寺として創建。北条氏滅亡後は後醍醐天皇の勅願所として利用され、南北朝時以降は足利氏の祈願所として庇護されることになります。江戸時代後期の罹災や、関東大震災により荒廃していましたが、近年精力的な再建により復興が遂げられ、中世の鎌倉の趣を残す寺院として人気を集めています。
また薬師堂の前に植えられている樹齢800年のイヌマキですが、幹の中心部は空洞になっており「かながわ100名木」に選ばれている古木です。茅葺屋根の薬師堂に入ると、正面に日光菩薩、月光菩薩を脇侍とした薬師如来像が奉られていて、堂内には見上げるほど大きい十二神将像が並んでいます。

【寿福寺(じゅふくじ)】
当寺の一帯には源頼朝の父・義朝の館があったといわれ、その後、北条政子が頼朝の遺志を継いで明菴栄西を招いてここに寺を建て始めました。裏山の墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
三代将軍実朝もしばしば訪れ、やがて十数か所の塔頭がある大きな寺になりました。境内は国史跡となっています。

【岩船地蔵堂(いわふねじぞうどう)】
神奈川県鎌倉市扇ガ谷3丁目にあるお堂です。鎌倉幕府の初代将軍になった源頼朝の長女・大姫(おおひめ)を供養する岩舟地蔵尊が祀られてた地蔵堂と伝わり、日本三大岩船地蔵(下野・岩船山の高勝寺など)のひとつになります。江戸時代初期の1691年に、地蔵堂ができ、追加で木造地蔵尊が安置されました。
その木造地蔵尊の胎内の銘札に「大日本国相陽鎌倉扇谷村岩船之地蔵菩薩者當時大将軍右大臣頼朝公御息女の守本尊也」と記載されているそうです。鎌倉・岩船地蔵堂は、住宅地の一角にあり、鎌倉時代には近くに中原親能の邸宅があった模様です。

【亀ヶ谷坂 (かめがやつさか)】
扇ガ谷と山ノ内を結ぶ道でその先の武蔵(むさし:現在の東京・埼玉ほぼ全域に神奈川県東部を含めた地域)に通じる要路でした。現在でも生活要路として使用されている国指定史跡です。
今も急な坂道ですが昔はもっと急な坂道だったようで、建長寺の大覚池にいた亀がこの坂を上ったところ急坂のために途中で引き返したあるいはひっくり返ったことから亀返坂(かめかえりざか)とも言われるようになったと伝えられています。
また、この坂の北側は延寿堂谷(えんじゅどうがやつ)といい昔、建長寺の僧たちが体を悪くした際に療養した延寿堂があったためこの谷の名がついたといわれています。

【円覚寺(えんかくじ)】
二度の元寇(文永・弘安の役)で亡くなった両軍の兵士を弔うために、1282(弘安5)年、鎌倉幕府第8代執権北条時宗が中国(宋)の高僧無学祖元を迎えて創建した禅宗寺院です。 臨済宗円覚寺派の本山で、鎌倉五山の第二位。本尊は宝冠釈迦如来坐像。妙香池、白鷺池などの池があり、国の名勝に指定されています。
国宝の舎利殿(しゃりでん)には、源実朝が宋から請来し、もと大慈寺に安置されていたという仏舎利(ぶっしゃり)が祀られています。鎌倉時代後期に建てられた舎利殿は火災で焼失。現在の舎利殿は、北条氏康が太平寺客殿(仏殿とも)を移築したものです。
※舎利殿は、常時公開されておりません。

以上、今回は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地のスポットの内神奈川県のスポットを神奈川編②としてご紹介しました。
さらに次回以降には、神奈川編のパート3、その後に静岡編もご紹介していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
2022.3.11
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
今年の1月から始まっている、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」皆様ご覧になられていますか?
第一回から第七回までは、ツイッターの世界トレンドナンバーワン、第八回は世界都連祖2位、ということで序盤戦から非常に注目されているようです。
ご覧になられている方も多いとは思いますが、大河ドラマは1年がかりの長丁場です。
まだ見ていない方でも、これまでのあらすじなどネット上などでも探せると思いますのでこれからでも十分追いつけますので興味のある方は是非ご覧いただきたいと思います。
このブログは、3/11(金)に執筆していますが、当方のいる福岡は昨日の気温が18℃ととても暖かく、数日前は朝晩はまだ結構寒かったので、ここに来て一気に季節が進んだような気がします。
コロナウイルス感染者の人数も、日を追って減少傾向となっておりますので、少しずつ明るい兆しが見えているような状況になって来ていると思いますのでこのまま順調に減少となって、日常生活が取り戻せたらと祈るばかりです。
そんな中で今回は、ドラマのゆかりの地をご紹介したいと思います。
【鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)】
鎌倉といえば、やはり一、二番に名前の上がる観光スポットではないかと思います。
先日弊社の「ハラミちゃん」のブログでもここ鶴岡八幡宮の紹介があったので少しかぶってしまって恐縮ですが、、、、ここは絶対に外せないところなので改めてご紹介させていただきます。
鎌倉殿の13人の主君である初代鎌倉幕府将軍「源頼朝」のゆかりの地であるこの鶴岡八幡宮ですが、鎌倉にあることから、別名を「鎌倉八幡宮」とも呼ばれております。源頼朝の先祖で河内源氏2代目棟梁「源頼義」(みなもとのよりよし)によって京都の「石清水八幡宮」(京都府八幡市)を由比ヶ浜付近に勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に祀ること)したことが縁起です。
祭神である「八幡神」は古来源氏の氏神とされ、武芸の神として信仰されていました。1180年(治承4年)、源頼朝が現在の場所に遷すと、鎌倉幕府の守護神として武家社会の中心に位置づけられるようになったのです。
源頼朝は、鶴岡八幡宮を中心に鎌倉を整備。鶴岡八幡宮の前には京都の朱雀大路に倣った参道が作られ、由比ヶ浜から真っ直ぐ2㎞ほど続くこの参道は「若宮大路」と呼ばれました。源頼朝は鶴岡八幡宮や若宮大路の造成を自ら指揮したとも言われ、若宮大路にある「段葛」(だんかずら)と呼ばれる、周りよりも一段高くなっている道は、妻「北条政子」の安産祈願のために作ったとされています。
また、源頼朝は放生会(ほうじょうえ)や流鏑馬(やぶさめ)などを奉納し、鶴岡八幡宮は源頼朝の死後も鎌倉幕府の公的行事の場として扱われるようになっていったのです。鶴岡八幡宮は鎌倉幕府が滅亡してからも、武家武門の守護神として、全国の武士に広く信仰されました。
なお、鶴岡八幡宮は、弟「源義経」の愛妾「静御前」(しずかごぜん)が舞を披露したり、息子で鎌倉幕府3代将軍「源実朝」(みなもとのさねとも)が暗殺されたりした場所として、源頼朝とは切っても切れない縁がある地なのです。


【宝戒寺(ほうかいじ)】
「宝戒寺」は、2代執権「北条義時」の邸宅である「小町邸」の跡地に建立された寺院です。
小町邸は、北条義時が居を構えて以降、5代執権「北条時頼」(ほうじょうときより)や8代執権「北条時宗」(ほうじょうときむね)をはじめとする歴代北条得宗家が居住した邸宅であることから、「北条執権邸」とも呼ばれています。
往時の小町邸は、現在の宝戒寺が持つ面積の10倍の大きさを誇りました。宝戒寺は、1333年(元弘3年)、「東勝寺合戦」において滅亡した北条一族の慰霊を弔うために、「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)が「足利尊氏」(あしかがたかうじ)に命じて建立させた寺院です。
宝戒寺は天台宗の寺院で、子育て経読地蔵大菩薩や毘沙門天などが安置されています。また、北条得宗家の鎮魂のため、境内にある「德崇大権現堂」(とくそうだいごんげんどう)には、14代執権「北条高時」(ほうじょうたかとき)が「德崇大権現」として祀られ、毎年鎮魂のために大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)が修められているのです。
宝戒寺は花の名所としても知られ、春の梅や桜、夏の百日紅(さるすべり)、秋の萩、冬の椿などが四季折々で咲き誇り、美しく境内を彩っています。


【建長寺(けんちょうじ)】
「梶原景時」(かじわらかげとき)は、もともとは平家側の武将であったものの、源頼朝の危機を救い、合議制を行った13人の御家人のうちのひとりとなった武将です。
鎌倉には、梶原一族が住んでいた土地に「梶原」の地名がある他、梶原景時が「上総介広常」(かずさのすけひろつね)を暗殺したのち、太刀に付いた血を洗い流したとされる湧水「梶原太刀洗水」(かじわらたちあらいみず)などの名所が残されています。
ところが、梶原景時の死から53年後に建立され、現在では北鎌倉を代表する大寺である「建長寺」(神奈川県鎌倉市)にも梶原景時に関する伝承が残されているのです。
伝承によると、建長寺が建立されて間もない頃、三門で行われた「施餓鬼会」(せがきえ:餓鬼道に堕ちた衆生に水や食物を与えて供養する仏教行事)が終了した直後に、騎馬武者が現れたと言います。
騎馬武者は施餓鬼会が終わったことを知ると、残念そうにその場を立ち去ろうとしますが、それを見た僧がもう一度施餓鬼会を行うと、騎馬武者は喜び、自分を梶原景時の亡霊であることを告げて姿を消したという話が残されているのです。そのため、建長寺では現在でも毎年、梶原景時のために施餓鬼会を2度開催しています。
全く余談ですが、、、この建長寺のすぐ横に、「鎌倉学園」という私立高校があり、
当方「テ・バサキ」は生まれが横浜で高校受験時に同学区内にあった当学園を受験したことを思い出しました。最終的には公立高校に受かったので鎌倉学園には行きませんでしたが、ちなみにこの鎌倉学園は、サザンの桑田佳祐、堺正章さんなども卒業した学校で、今は分かりませんが、当時は仏教の授業を建長寺で行っていたようです。
【妙本寺(みょうほんじ)】
「妙本寺」は、鎌倉殿の13人のうちのひとりで、源頼朝の信任が特に厚かった御家人「比企能員」(ひきよしかず)の屋敷があった場所に建立された寺院です。
この場所は、比企一族が住んでいた谷戸であったことから「比企谷」(ひきがやつ)と呼ばれており、比企能員の末子「比企能本」(ひきよしもと)によってこの地に建立されました。なお、妙本寺の山号である「長興」は比企能員の法名から、寺号の「妙本」は比企能員の妻の法名から取られています。
源頼朝の死後、比企一族は北条一族と対立し、「比企能員の変」によって滅亡。妙本寺の境内には「比企一族供養塔」などがあります。
また、ここ妙本寺は日蓮宗最古の寺院と言われているところでもあり、あじさいの穴場スポットとしても知られているところです。

【甘縄神明宮(あまなわしんめいぐう)】
「甘縄神社」は、710年(和銅3年)に「行基」(ぎょうき)が草創したとされ、鎌倉最古の神社と言われる神社です。鎌倉殿の13人のひとりで、安達一族の祖である「安達盛長」(あだちもりなが)の邸宅があったとされ、鳥居の脇には「安達盛長邸宅跡」の石碑が建てられています。
また、甘縄神社は源氏や北条氏とも関係の深い神社で、源頼朝が社殿を修復したり、8代執権・北条時宗が産湯に使ったとされる井戸が存在したりするのです。
甘縄神明宮のご祭神は天照大御神であることから、頼朝公が「伊勢別宮」として篤く信仰もしていました。境内に一歩足を踏み入れると、まるでその歴史が伝わってくるようです。

以上、今回は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地のスポットの内神奈川県のスポットの一部をご紹介しました。
次回以降には、神奈川編のパート2、また冒頭でも書きましたが静岡県にもゆかりの地が多数ありますので静岡編も予定しておりますので、ご期待ください。
最後までご覧いただきありがとうございました。
2022.1.14
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
少しタイミング遅いですが、、、、
2022年新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ「ユニバーサルトラベルビューロー」をよろしくお願い致します。
ほぼ2年ほどコロナ禍により、多くの皆様が旅行から遠ざかっているものと思います。
今年こそは、コロナが終息に向かい、安心して旅行に参加できる世の中になることを大きく期待して、こんな時ではありますが、こんな時だからこそ、出来ることを精一杯頑張っていきたいと思っております。
そうこうしているうちに、あれよあれよと、オミクロン株の影響が日本にも、ものすごい勢いで拡がって来ました。
しかしながら、、、、このコロナとの戦いは2年ほどとなり、ワクチン、治療薬、など人類もコロナに対する武器が揃いつつあると思いますので、今は拡がって来ておりますが、間違いなく近いところでこのパンデミックも抑えられ、人類がコロナに打ち勝つ日も近づいているものと信じたいと切に思っております。
前置きは長くなりましたが、今年最初のブログ投稿になりますので、
2022年の今現在で分かっている年間のイベント等を紹介しておこうと思います。
今年は皆さんご存知のように寅の年ですね。
寅年は、歴史的に、“新しいものがぐんぐんと成長したり、変革が起こる年”、なんだそうです。
少し期待できそうな年になりそうですね。
【1月】
1月9日~
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」放送開始
1月14日
北海道白老町ポロト湖畔白老温泉に星野リゾートの「界 ポロト」が開業予定
【2月】
2月4日~20日
中国 北京で冬季オリンピックが開催予定
【3月】
3月25日
プロ野球セ・リーグ、パ・リーグが共に開幕予定 ビッグボスこと日本ハムの新庄剛監督に注目が集まる。
【4月】
4月~6月
長野市の善光寺、数えで7年に1度の行事「善光寺御開帳(ごかいちょう)」が開催
4月30日
長崎県対馬市に「対馬博物館」が開館予定
【5月】
5月15日
沖縄が本土復帰(沖縄返還)から50周年
【7月】
7月25日までに
7月25日が任期になる参議院議員への参議院議員通常選挙(半数改選)が実施予定
【9月】
9月23日~10月3日
オーストラリアのシドニーで「FIBA女子バスケットボール・ワールドカップ」が開催予定
9月29日
日中国交正常化から50周年
秋
西九州新幹線 (九州新幹線長崎ルート)が開業を目指している
秋
愛知県長久手市の愛・地球博記念公園に「ジブリパーク」が開園予定
【11月】
11月21日
「2022 FIFAワールドカップカタール大会」初戦が開催予定
【12月】
12月
木造復元された名古屋城天守閣が竣工予定
まずは何と言ってもコロナウイルス感染が終息の方向に向かってもらうことが大前提ですが、、、
終息したら、大河ドラマで話題となる「鎌倉」、や西九州新幹線開業で注目される「長崎・佐賀」、
など旅行で訪れたい場所もいろいろとあると思います。
当社でも、ツアーの企画を検討して参りたいと思っておりますので、本年もどうぞ引き続きましてよろしくお願い致します。
最後までご覧いただきありがとうございました。
2021.12.3
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
とうとう師走に入りましたね。
今年も残すところあと1か月を切りました。
流行語大賞も決まりましたね。
“リアル二刀流/ショータイム”
今年もコロナ禍の1年でしたが、大谷選手の活躍には本当に勇気や元気などをもらい、
日本を明るくしてくれましたよね。来年も活躍期待したいところですね。
さあそれでは今回は、「愛媛県」の魅力、について、ごく一部になりますがご紹介したいと思います。
まずは愛媛県に行くまでのアクセスでおすすめをご紹介します。
それは、広島県方面から、「しまなみ海道」を陸路で渡る、ルートです。
「しまなみ海道」とは、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの道で、瀬戸内海に浮かぶ島々の風景を存分に楽しむことが出来ます。

△緑色は広島県、黄色は愛媛県です。

△亀老山展望公園からの眺め
このルートで愛媛県に入る方は中国地区の方が多いかと思いますが、
素晴らしい景色を陸路から眺めながら移動出来ますので、絶対的におすすめのルートです。
上記の画像は、四国八十八景に選定されており、眺望はしまなみ海道随一と言われている愛媛県側の
大島にある亀老山展望公園からの眺めになります。
このルートで入ると、愛媛県の今治市に最初に入ることになりますので、
最初の訪問場所としておすすめは、「タオル美術館」です。今治市と言えば、タオル、ですよね。
国内の生産量60%を占めている「今治タオル」の美術館で、
タオルをテーマにした世界でも珍しい施設で、タオルの製造工程の見学も無料でできます。
5階建てとなっており、4階と5階が文字通り美術館となっており、お一人様800円の有料施設となっております。
もちろん様々なタオルの販売もされており、購入したタオルに刺繍で名前を入れることもできます。

△タオル美術館(外観)

△タオル美術館 製造工程見学箇所
続いては、「道後温泉本館」です。
今治からは車で約1時間ほどの移動となります。
道後温泉と言えば、知名度は高いと思いますので、名前は知っているという方は大変多いと思います。
日本には数多くの温泉地がありますが、この道後温泉は、日本最古の温泉と言われています。
開湯は縄文時代といわれ、聖徳太子も訪れたと言われています。
日本の公衆浴場として初めて、1994年に国の重要文化財に指定されながら、博物館化せずに現役の公衆浴場として現在も営業を続けています。2009年に発行されたミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは、最高位の三つ星を獲得しています。
この「道後温泉本館」は、現在保存修理工事中ですが、営業は続けられていますので、
ここは絶対はずせないスポットです。

△道後温泉本館

△道後温泉本館内 霊の湯
次の観光スポットは、「坊ちゃんカラクリ時計」です。
1994年に道後温泉本館建設百周年を記念して、道後温泉駅前に作られました。8:00~22:00までの1時間ごと(土曜・日曜・祝日及び特別期は30分ごと)にカラクリ時計本体が音楽に合わせてせり上がり、松山を舞台に描かれ、道後温泉も登場する夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物が姿を現します。


続いて、「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)」です。
建物のコンセプトは、聖徳太子の来浴や斉明天皇の行幸などの物語や伝説が残る日本最古といわれる温泉にふさわしい飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋です。
道後温泉本館と同じく、全国でも珍しい加温も加水もしていない源泉かけ流しの「美人の湯」を満喫することができます。
先ほどご紹介した道後温泉本館は、昔ながらの趣を残した施設で、こちらは飛鳥時代の様式を取り入れつつも4年前に建てられた新しい施設ですので、この対比を見比べるのも面白いと思います。

次に、「道後ハイカラ通り」です。
市内電車の道後温泉駅と道後温泉本館をつないだ約250mの商店街通りで、土産物店や飲食店が所狭しと軒を連ねています。浴衣で立ち寄ることができるのもこの商店街ならではのところです。
お酒好きの方には、造り酒屋などもありお酒の試飲も出来る場所もあり、のんびりぶらぶらするのが楽しい場所です。

次に、おすすめ宿泊のご紹介です。
「大和屋本店」です。
明治元年創業で、道後温泉本館のすぐそばにある老舗旅館です。老舗ならではの伝統を守りつつ、現代的なおもてなしを融合することで、より洗練されたサービスを提供されており、格式がありながらも温かさを併せ持つお宿です。


最後に、番外編でもうひとつご紹介です。
それは、松山から広島方面に戻る際の移動手段の「シーパセオ」です。
愛媛県に来るときに、陸路でしまなみ海道を通って入りますが、帰りは、そのしまなみ海道を航路で渡るのが「シーパセオ」です。
広島と松山を2時間40分で結ぶクルーズフェリー「シーパセオ」は2019年に就航しました。
従来のフェリーとは異なり座席のバリエーションは豊富で、売店ではうどんやカフェメニューが用意されています。
特に屋上デッキは公園をイメージした造りで、人工芝のテラスや東屋風のベンチがあり瀬戸内の穏やかな海を一望できます。


以上、今回は、愛媛県のおすすめスポットのほんの一部をご紹介しました。
興味を持った方は、
当社にて、山口県の皆さま向けにはなりますが、山口県から愛媛県への1泊2日のツアーを企画しており、今回ご紹介した内容も盛り込まれておりますので、間もなく当社ホームページへ掲載いたしますのでご確認頂けましたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
2021.9.5
皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
今回は、「壱岐」の魅力、についての話題です。
「壱岐」と聞いてピンとくる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか??
当方のイメージとしては、北部九州にお住まいの方以外ではあまりいないのではないかと勝手に思っておりますが、そもそも「壱岐」は何県かはお分かりですよね!?

一番近そうなのは、佐賀県のようですが、福岡県や長崎県も同じくらいの距離感みたいですよね。
ほとんどの方はお分かりだと思いますが、壱岐は長崎県に属します。
壱岐のすぐ近くの対馬、また五島列島についても長崎県に属していますよね。
壱岐は、遺跡・古墳・神社に城跡…などが小さい島の中に多数あり、
非常に長い歴史のある島です。
古事記の国生み神話の中で、5番目に生まれた「伊伎島」として記された壱岐島。神々の島とも呼ばれ島内には150社以上も由緒ある神社が点在しており、島全体がパワースポットとも言われています。
また、中国の三国志時代に書かれた「魏志倭人伝」にも「一支国」として登場。長崎県にある約450基の古墳のうち約6割にあたる280基が壱岐にある事からも古くから交易の拠点としても栄えていたことがうかがい知ることが出来ます。

▲壱岐
それでは、そんな壱岐について、いくつかのスポットをご紹介いたします。
まずは、小さい島の中に150社以上もある神社の中で、神秘的なパワースポットでもある「月讀神社(つきよみじんじゃ)」をご紹介します。

▲月讀神社
御祭神は月讀命(つくよみのみこと)。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)によって、天照大御神の次に産まれたとされる神です。
暦・潮の干満など月にまつわる全ての行い、安全や航海安全などの願いごとを聞き入れてくださると言われ航海の神様とも言われております。
日本書紀には、京都の松尾大社内にある月讀神社は壱岐の県主(あがたぬし)の先祖である忍見宿祢(おしみのすくね)が分霊したものと記されていて、全国に点在する月讀神社の総本社とされており、日本最古の神社とも言われております。
次に、「原の辻遺跡」です。

▲原の辻遺跡
原の辻遺跡(はるのつじいせき)は弥生時代の集落で、魏志倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡です。この原の辻遺跡は“遺跡の国宝”にあたる国の特別史跡に指定されています。日本で弥生時代の遺跡として特別史跡に指定されているのは、この他、登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の2箇所だけです。
これまでの発掘調査で、日本最古の船着き場の跡や当時の「一支国」が交易と交流によって栄えていたことを示す住居跡などが確認されています。遺跡からは交易によってもたらされた様々な地域の土器や中国の貨幣、日本唯一の人面石やココヤシで作った笛等が発見されています。
続いては、壱岐のシンボル的な景勝地の「猿岩」です。

▲猿岩
自然によって造られた奇岩は「そっぽを向いたサル」にそっくりですよね。神話の舞台にもなっていて壱岐島が流れてしまわれないよう神様が建てた「八本柱」の一つと言われています。
高さ45mの巨大な猿のユニークな形はもちろん、岩越に見える美しい夕陽の絶景も注目。インスタ映えする写真が撮影できると観光客に大人気のスポットです。
続いては、“日本の電気王”、“電力の鬼”、と称された松永安左エ門氏の功績を称える「松永記念館」です。

▲松永記念館
壱岐出身の”日本の電気王“”電力の鬼“と称された松永安左エ門氏。明治から昭和にかけて日本の電力の普及と振興に努めた彼の功績を伝えるために建てられた記念館です。
慶応義塾で福沢諭吉の教えを受け、1910年(明治43)の九州電気設立を契機に電気事業に着手、全国的に活躍の場を広げました。戦時下には国家管理化におかれることに反対し隠居を決意しましたが、戦後、電気事業の民営化や料金値上げなどの電気事業の再編の中心人物として再び活躍するなど、日本における電力の歴史を牽引し続けました。
施設入口には、松永が1909年(明治42)に設立した福博電気軌道(1979年廃止、後の西日本鉄道)の懐かしい電車が置かれ、館内には身の廻りの品や、後藤新平や犬養毅首相からの書等が展示されています。
最後にお酒が好きな人にはうれしい、「壱岐の蔵酒造見学」をご紹介します。

▲壱岐の蔵酒造
ここ壱岐の蔵酒造は、壱岐を代表する焼酎の酒造メーカーで、焼酎をよく飲まれる方は、
「壱岐っ娘」の商品をご存知ではないでしょうか?
あまり知られていないですが、壱岐は麦焼酎発祥の地と言われています。
焼酎造りに大切な水は、弊工場の地下深く、玄武岩層で磨かれた地下130mの自然水を使用しています。
米麹の甘みと麦の香りが広がる壱岐の麦焼酎。500年の歴史に磨かれた伝統的な製法が認められ、1995年にはWTO(世界貿易機関)のトリプス協定によって「地理的表示」の産地指定を受けました。同じ原料や製法であっても、壱岐でつくられたものでなければ「壱岐焼酎」と名乗ることはできないものとなっております。
ということで、いかがでしたでしょうか?
ここにご紹介したのはほんの一部ですが、まだまだ壱岐の魅力的なところはたくさんあります。
当社でも、今年の春と夏に北部九州と山口県の皆さま向けに、壱岐の日帰りツアーを企画しましてご案内も致しましたが、残念ながらコロナ感染拡大のためにツアー自体は中止と致しましたが、当コースはコロナ感染が落ち着きましたらまた改めてご案内を考えておりますので、今はまだ難しいですが、もう少ししましたら是非、当社のツアーで訪れてみてはいかがでしょうか?
今回はこの辺で終わります。