休憩部

「ぼくなつ」のお盆休みと終戦記念日の思い出

2021.8.15


こんにちは、ユニバーサルトラベルビューロー休憩部顧問のジンことジン・ギスカンです。

コロナ下、旅行や県境移動自粛の要請が出て昨年同様、お盆帰省やお墓参りなどもしっかり出来ていない方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

また、8月に入り各地記録的な猛暑、連日報じられる感染拡大とその懸念、東京2020五輪閉幕後は、日本列島に停滞する前線による豪雨被害と極端に変化する日常に不安な毎日をお過ごしの方も大勢いらっしゃると思います。
被害に遭われた皆様には心からお見舞い申し上げます。
一刻も早い復旧をお祈りいたします。

何かと落ち着かない今週、お盆休みになりましたね。

さて、今日は76日目の終戦の日。

「ぼくなつ」と題して子供の頃のお盆休みの話をしましょう。
とにかくお盆休みは楽しかった。
父親の夏休みといえばお盆の3ケ日で唯一車に乗ってお出掛ける。小学4年生頃だろうか。

山あいの田舎の親戚の家では川でスイカやトマトを冷やし、縁側で焼き立てのトウモロコシを頬張る。たまらなく美味しかった。

夏休みと言えばほぼ毎日学校のプールに通い、真っ黒に日焼けした体を親戚の叔父さんや叔母さんに自慢する。白キャップに黒線3本はあったと思うが泳ぎは下手だ。未だに。
ちなみに白キャップに黒線3本? 確か黄色キャップもあったが。分かりますか?
タイムじゃなかった気がするが100泳げたら、一本、200メート泳いで2本だったような~? ちょっと記憶が怪しいが何せ進級時に手縫いでキャップに紐を縫い付けレベル分けしていた。

今、日傘を持ち歩いているとは想像もできない日焼けしたスポーツ万能で健康的な少年であった。
余談だが女子からの人気もあった(笑)

山や川に行っては傷だらけで帰宅し父も母もあきれた様子でわんぱくぶりを誇らしげにしていた。
夏休みの宿題など無縁であった。

お寺近くの墓苑に葬られたご先祖のお墓は苔が生え年期を感じる。
線香の香り、ロウソクに火を灯しても風ですぐに消え、またつける。子供ながらマッチに火を付けロウソクに灯すことがお墓参りの楽しみでもあった。あとお寺のお供えを分けていただくことも。

従妹なのか?誰なのかわからないが親戚の子だろう子?と田んぼに行き、アマガエルを捕まえ、笹船をつくり、その船にアマガエルを乗せて田んぼの用水路で競争をした。
その後の結果がどうなったかは全く覚えていない。
結局その子はどういう関係なのかも覚えていない。覚えているのはただ「楽しかった」ことだけ。

8月15日、母から戦争に行った親戚の戦没者や兄弟の話を聞いた。
戦時中、食料難でお米が食べられなかったこと。親が着物と食べ物を交換していたこと、主食は毎日ジャガイモ、母はよくデンプンをよく食べたと言っていた。
父11歳、母は9歳の時だ。
当時の「ぼく」と同じ年代。
当時も今も恵まれている、なんて平和なのか、年の離れた母の兄が何とか戦地から帰還したが精神的にも疲弊し可哀想で無残だったと言っていた。

戦時中がどれだけ悲劇だったかは正直当事者でないとわからないが、耐え難い苦労があったことは事実だ。
親から聞いたことが記憶から年々遠のいていき、もっといろいろ聞いておけば良かったと思うが思い出し伝えられることはほんのわずか。

しかし、少しでも身近にあった体験、出来事を子供たちに伝えることの大切さは終戦日を迎えるたびに思う。

日本、世界は今コロナ禍の真っ只中。
戦時とコロナを比べることはできないが、ウィズコロナ下、民間の医療体制が十分でないのであればワクチン接種も進んでいるので自分で自分の命を守る行動をしつつ様々な制限を緩和し経済活動を促進し雇用を守ることがコロナ戦禍を乗り切る最前線の戦術かと思うが。
まぁ、いろんな考えをもっている一人の意見としてお許しいただき、終息宣言し早くコロナ禍の終戦日を迎えたい。

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