休憩部

第11回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編③】

2022.7.28

皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
毎日暑い日が続きますが、お体大丈夫でしょうか??

またここへ来てコロナ感染も再拡大となり、熱中症対策、コロナ対策と大変な日々が続きますが、幸いなのは重症化率が低いという点が救いかと思います。
それにより政府も行動制限は今のところしない、という方針のようですので、基本的な対策をしっかりとしながら、楽しむところは楽しんで行きたいところですね。

今回も私からは、引き続き年明けから盛り上がっている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地の神奈川編第四弾となります。

【江島神社(えのしまじんじゃ)】
ドラマの主人公・北条義時一族の家紋は、三角形を重ねた「三つ鱗」。これは江島神社を起源とするものです。
江島神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の総称で、三姉妹の海の女神(海の神、水の神、幸福・財宝を招き芸道上達の功徳を持つ神)を祀ります。
辺津宮の境内にある奉安殿には国の重要文化財に指定されている八臂弁財天や市指定重要文化財に指定されている妙音弁財天が安置されています。

鎌倉時代に書かれた『吾妻鏡』には、1182年に頼朝が藤原秀衡の調伏を文覚に命じ、江の島に戦いの神として弁財天を勧進したとあります。4月5日には時政ら家来を連れて島を訪れ鳥居を奉納。この鳥居は、同神社奥津宮にある石の鳥居と伝えられています。

室町時代に書かれた戦記『太平記』では、義時の父・時政が90年に子孫の繁栄を願い、江の島岩屋に籠った記録が残っています。祈願成就の日、夢の中に女神が現れ、龍となって海中へ姿を消した。時政は目覚めた際に手元に残っていた三つの鱗を北条の旗紋にしたといいます。

江島神社の社紋はそれに因み考案。成立年は不肖ながら、鎌倉幕府の加護を示すものとして、信仰を集め続けたといいます。
また神社内には、北条政子が奉納した神鏡が奉安殿にて公開されています。

【長後天満宮(ちょうごてんまんぐう)】
渋谷重国の祖父である河崎基家が、居館の一角に天満宮を祀ったことが神社の始まりと伝えられています。
この天満宮の北側には長後天神添北遺跡・長後天神添南遺跡という2つの遺跡がありますが、そこからは鎌倉時代の遺物や武士の居館の一部と考えられる堀が見つかっています。渋谷重国は石橋山の合戦では平氏側につきましたが、裏では頼朝のために動いた鎌倉時代草創期の武士です。

祭神は菅原道真公。元はこの地を支配していた渋谷氏が居城の中に作った社であったといわれ、周囲で空堀の跡も見つかっています。境内の石灯籠は旗本朝岡丑之助が寛永19年(1642)に寄進した当時の面影を残している貴重なもので、市の指定重要文化財とされています。貞亨3年(1686)に奉納された社裏手にある狛犬も、市の指定重要有形民俗文化財となっています。

【大庭城址(おおばじょうし)】
江戸時代の頃から地元では大庭城は大庭景親の館を太田道灌が改修し城郭としたという伝承があります。
扇谷上杉氏の築城と考えられています。城主で判明している人物は扇谷上杉朝昌。四方を見渡せる台地にあった大庭城は、15世紀に太田道灌により修築され、その後、小田原北条氏によって改修されました。今でも周辺には、裏門、二番構、駒寄など城に関した地名が残る。公園内はアスレチック広場や散歩路が設けられ、市民の憩いの場として親しまれています。

【宗賢院(そうけんいん)】
永正2年(1505)、虚堂玄白大和尚により開創された曹洞宗寺院。近隣の17末寺を治めた地方本地だった。本堂隣の龍骨は、その昔周辺の村が干ばつになった時、雨乞いの儀式で祀ると必ず霊験があったといわれるものです。
大庭景親が所蔵したと伝われる茶釜があります。

【白旗神社(しらはたじんじゃ)】
祭神は寒川比古命、源義経公です。創建年代は不明ですが、相模国一ノ宮寒川神社を歓請しました。文治5年(1189)、義経の首実検の跡、怨霊に苦しめられた源頼朝が、首塚からほど近い亀尾山に社を建てたのが始まりともいわれています。現在の社殿は天保6年(1835)に落成し、昭和56年に(1981)に社殿の腐朽により大改修が行われました。典型的な流権現造りです。6月13日に源義経公鎮霊祭が、7月15日~21日に白旗祭が、10月28日に湯立神楽が行われるなど年間を通してさまざまな祭事があります。湯立神楽でおこなわれる「笹の舞」は、沸騰したお湯に笹を浸し、参拝客の頭上に散らし、受けたものは無病息災になるというものです。

6月13日には源義経の霊を鎮める「源義経公鎮霊祭」が、10月28日には藤沢市重要無形民俗文化財である湯立神楽がおこなわれています。
境内には令和元年(2019)に源義経・武蔵坊弁慶主従の銅像が落成しました。

【義経首洗井戸(よしつねくびあらいいど)】
源頼朝に鎌倉を追われた源義経は奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)に藤原泰衡の裏切りで、衣川の館で自害したといわれています。
鎌倉に送られた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜にうち捨てられましたが、首は潮にのって境川を遡り漂着し、この首を村人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたという伝説が残っています。
以前は、鳥居が建てられ義経の首を祀った首塚、近くには武蔵坊弁慶の首塚もあり庶民に信仰されていました。

以上、今回も引き続き、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地のスポットの内神奈川県藤沢市のスポットを神奈川編④としてご紹介しました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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