休憩部

第十回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編③】

2022.6.8

皆様、こんにちは「テ・バサキ」です。
いよいよ東京でも「都民割」のスタートが決まり、旅行に行きやすい環境が揃って来ました!!
前回、前々回に続きまして、年明けから盛り上がっている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地の神奈川編第三弾となります。

第一弾、第二弾はこちら
第八回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編①】
第九回 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 【神奈川編②】

【常楽寺(じょうらくじ)】
1237年(嘉禎3)三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまり。常楽寺の寺名は、泰時没後、その法名をとってつけられた。建長寺開山蘭渓道隆が、建長寺が建立された1253年(建長5)まで、ここに住んでいたことでも知られ、仏殿には、本尊の阿弥陀如来像とともに蘭渓道隆像が安置されている。北条義時の息子・泰時が妻の母の供養のために建立した寺院で、泰時の年忌供養も行われています。また「粟船山(あわふねさん)常楽寺略記」は北条政子が娘大姫と許嫁の源(木曽)義高の菩提を弔うため当寺を創建したとし、裏山には義高の首塚といわれる塚があります。
ゆかりの人物は、北条 泰時・源 義高・大姫 となります。

【来迎寺(らいこうじ)】
来迎寺は1293年(正応6年)に建立された時宗のお寺です。
阿弥陀如来様をご本尊とし、鎌倉三十三観音霊場巡りの五番札所として、今も多くの巡礼者・参拝者が訪れます。
江戸時代、源頼朝の法華堂に安置されていた地蔵菩薩・如意輪観音(にょいりんかんのん)・跋陀婆羅尊者(ばっだばらそんじゃ)の三躯等を祀ります。地蔵菩薩像はもと報恩寺の本尊で、後に太平寺・法華堂へと移されました。来迎寺の近隣にあった太平寺は、頼朝が自らを助けた池禅尼(いけのぜんに)の姪を開山として建立したと伝わり、その客殿(仏殿とも)は円覚寺に移され、舎利殿として現存します。

【法華堂(ほっけどう)源頼朝墓・北条義時墓】
源頼朝の墳墓堂(法華堂)跡です。頼朝の生前に持仏堂として建てられ、没後に法華堂と呼ばれるようになりました。現在頼朝墓のある平場がその跡地であると考えられています。武家の精神的な拠り所として鎌倉幕府滅亡後も維持されました。

【法華堂 源頼朝墓】
北条義時の没後、供養のために建てられた墳墓堂(法華堂)の推定地です。平成17年(2005年)の発掘調査で堂跡の遺構が発見されました。堂は鎌倉時代後期には廃絶したとみられています。背後には、宝治合戦で敗れた三浦氏一族にゆかりがあると伝わり今も供養されている「やぐら」や、江戸時代以降に整備された大江広元等の墓所があります。

【大倉幕府跡(おおくらばくふあと)】
頼朝が建てた鎌倉政務の中心地です。鎌倉入りした源頼朝は大倉郷に御所を新造し、公文所、問注所も設置しここに幕府政務機能を集中させます。以後頼家、実朝と源氏3代の将軍のこの場所において政務を行いました。
頼朝の御所の周囲には、有力御家人の宿所や幕府の役所が置かれていました。江戸時代の地誌から推定して、現在の清泉小学校の敷地を中心とする地域にあったと考えられています。

以上、今回も引き続き、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のゆかりの地のスポットの内神奈川県のスポットを神奈川編③としてご紹介しました。
さらに次回以降には、静岡編などもご紹介していきたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございました。

  • face
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE